小倉高校の学生さんたちが、
校外学習で、当ルームへお越しくださいました。
2時間たっぷりいろいろな話を聴かせて頂き、
お伝えできる範囲のことをお伝えし、
とても楽しく、私にとっても学び深い時間でした。
悩みのほとんどが人間関係だと言われています。
周りの大事な人たちとよりよい関係性を築いていくためにも
自分を知り、自分の心を整えていくためにも、
私自身、もっと若い時から、(できれば結婚前に)
ビリーフ(信条、信念、価値観)についてや
(※論理療法)
自己開示(Iメッセージ)や聴き方、
発達心理等々…、
人間関係に役立つ心理学の生きた知識を
学んでいたとしたらどんなによかっただろうと
思ったものです。
もちろん、全てをお伝えできるわけもなく、
話題の流れから、ほんの少しお伝えした程度ですが、
それでも、こんな若いときから、
リサーチして学んでいこうという姿勢に
未来への「希望」を感じました。
この社会は問題が山盛りですが、
こうした若いまっすぐなエネルギーが、
未来を変えていく力となるのでしょう。
その未来への希望のために
少しだけ先に生きている者として
出来る事を精一杯取り組んで、
次の世代にベストなものを手渡していきたいと
改めて強く思った時間でした。
~ご案内~
心理講座
傾聴Ⅰ:「心を繋ぐ聴き方、心が閉じる聴き方」
7月16日(水)
7月19日(土)
傾聴Ⅱ:「共感的聴き方と受容的在り方」
8月3日(日)
詳細はこちら
個性類型学講座Ⅰ
9月3日(土)
詳細はこちら
心理講座
9月17日(水)
9月20日(土)
※論理療法「ビリーフの書き換えとあるがままについて」
詳細はこちら
「ミミちゃんの痛み」blogは、前回で終えたつもりでしたが、
また展開があったので、さらなる続編です。
早朝、ミミちゃんに会いました。
おばあちゃんが、ミミちゃんを見て歩いています。
すごい変化だなあと、ジーンと感動しながら一緒に歩いていると
ミミちゃんが他の犬のおしっこの跡がある電柱を
クンクンしに行こうとした瞬間、
グイっと引っ張っておばあちゃんは止めたのです。
「歩かないのに、好きなところには行こうとするんよね」
え?好きなところに行きたいよね、ミミちゃん。
なるほど!
おばあちゃんはミミちゃんがクンクンする
(ミミちゃんのやりたいこと)
その「間」をあげることをせずに、
おばあちゃんのペースで連れていこうと引っ張るから、
ミミちゃんは抵抗して踏ん張る。
歩かなくなる。
ミミちゃんの歩かない理由が見えてきました。
おばあちゃんは、きれい好きのようで、
ミミちゃんが他の犬のおしっこを舐めるのも
ポムや他のワンコがミミちゃんのお尻をクンクンするのも
嫌がるのです。
でも、犬が他の犬のおしっこを舐めるのは
情報収集や、
免疫向上のためと言われています。
お尻をクンクンするのは挨拶であり、
大事なコミュニケーションです。
どちらも楽しく必要なことなのです。
「この子は散歩が嫌いで歩かんのよ」
「この子はおとなしいのよ」
そうではなく、
行きたいところも、やりたいこともあって。
それをさせてくれずに、歩かせようとするから
全身で力いっぱい抵抗して続けてきたのかもしれません。
でも、叶わないから歩かなくなる。
人間の力に負けて、嫌々引きずられる。
おとなしいのではなく
気づいてもらえないだけで
態度でものすごく自己主張してきたのかもしれません。
肉球に穴があくまで‥‥。
実はものすごく強い子なのだと思ったのです。
おばあちゃんも、それらの知識を全く知らないわけではないようですが、
きれい好きなので、感覚的にどうしても嫌みたいです。
おばあちゃんのきれい好きに
ミミちゃんの自由と楽しみが勝れば
尊重されれば
行動変容に進むのかなあなどと、頭を巡らせながら、
ミミちゃんがクンクンしようとしている時に
その「間」=「スペース」をつくろうと
おばあちゃんの話をたくさん聴いています。
すると、思いがけない共通項がわかったり、
たいへんだった過去を教えてもらえたり、
人生の先輩方にはやはり頭が下がります。
そのおばあちゃんの相棒として
強いミミちゃんがいる。
絆って、全てを超えていくのかもしれない。
ミミちゃんは、自分の傷を自分で舐めて治しながら
痛みを強さに変えて
大好きなおばあちゃんを支えていく。
ミミちゃん
出会ってくれてありがとう。

2つ前のblog「ミミちゃんの痛み」の続きです。
あのblogは書き始めてからアップするまで1週間ほどかかっていました。
その間、ほぼ毎日のように、ミミちゃんと会っていました。
ポムはミミちゃんの傷を舐め続け、
私もさりげなく共同注視を試みていました。
そして、あのblogをアップして、皆さんにシェアした翌日のこと。
ミミちゃんとおばあちゃんの姿に驚きました。
おばあちゃんがミミちゃんの後ろにいるのです。
おばあちゃんが、ミミちゃんを見ているのです。
これまであまり見たことのない光景。
ミミちゃんはいつもおばあちゃんの後ろを、
引きずられるように歩いていたから。
「おはようございます」と声掛けすると
おばあちゃんがさっそく
「昨夜、娘家族が遊びに来てね、
ミミが歩かないのは、足が痛いせいじゃないかって言ったんよね」
そう言いながら、ミミちゃんを抱っこして肉球を見せてくれました。
「赤くなっとるって」
見ると、なんと
肉球が赤くなっているだけではなく
切り傷が前足両方の肉球にいくつかありました。
ふたつは、すでに小さな穴になっています。
「ほんと、これは痛そうですよね。
傷がいくつもありますね」
「え?傷?あれ!本当だ。
足をいっつも舐めとったのは、傷があったからかね。
私が引っ張るからやろうね」
「もう、おしっこもうんちもしたらから、
もう帰ろう」
そう言って、ミミちゃんを抱っこしたまま
おばあちゃんは散歩を切り上げ帰っていきました。
私は、コンステレーション的展開の速さに少し驚きつつ
おばあちゃんのミミちゃんへの愛を感じながら
見送りました。
コンステレーションでは
「皆で見る」ことに意味があると言われています。
そうしていくことで
不思議ですが、展開されていくことがあります。
変化が起きることがあります。
ミミちゃんの傷をおばあちゃんと共に見て、
それから、blogを通して、共にミミちゃんの
傷を見てくださった人たちもいて、
すると、すごいタイミングで
おばあちゃんの遠くに住むご家族も
ミミちゃんの傷を見てくれて、
隠れていた傷がさらに明かされていく。
やっと肉球の傷も見てもらうことができて、
再度「引っ張ること」に焦点が戻り、
おばあちゃんの心と習慣の変化が起きる(かもしれない)。
見えている痛みだけではなく、
そのほかの痛みが開かれていく。
ミミちゃんが歩かない理由も、
そのうち、きっと。
一歩一歩、ですね。
何にせよ、よかったね、ミミちゃん。
blogを通して、一緒にミミちゃんの傷を見て下さった皆様
ありがとうございます。
ポムは、毎日張り切っていたのに
今日はミミちゃんを舐めることができず、
追いかけたのに叶わず、
悲しそうにとぼとぼと帰り、
ふて寝してました。
ポム、いい仕事してるよ!
お疲れ様!
6月21日、22日と
cocoriseファミリーコンステレーションを開催しました。
とても重要で意義ある時間でした。
参加された方々のお悩みではありますが、
多くの人にとって共通するテーマであり
社会全体のテーマであったと思います。
家族間の孤独
不倫と依存症
発達障害と薬と支援機構
愛の逆行
養父母と実父母
過緊張
兄弟との不仲
適応障害などの家族の病い
代々の愛の流れ
‥‥
問題を持つとされている人の
その奥にある
孤独感や寂しさ
魂の叫びのような苦しみ
「普通になる」「治す」
「更生する」「ちゃんとする」
ための
努力を求められ
努力が当たり前となり
その背景にある寂しさも苦しみを
あまり見られることも
理解されることもなく
置いてきぼりにされている心。
私たちは共に、見ることができました。
開かれて
一歩一歩進んでいく
それぞれの貴重な歩み。
前回のblogで書いたように、
環境要因を変える必要があるとしても
なかなか焦点が当てられず、
気づいたとしても自分自身もサポート側も
簡単に変われないケースもあり、
変えていくことは並大抵のことではないのだと思います。
その前提のもとに
大事な人のために
自己成長のために
もがき続ける
その魂の美しさに
その尊さに
頭が下がります。
これから、次のプロセスに進んでいくのだと思います。
何が本当に必要なのか。
開かれていく前段階にいる人たちも多くいらっしゃいます。
少しずつプロセスが進み、奇跡のような変容も見せてもらっています。
この命は、計り知れないほどの方々によって存在し
多くの人に支えられて生きているのだと、
深い深いエールに、勇気を頂きます。
そして、歩みながら、それぞれの内側が
深く大きく広がっていく流れを感じています。
おそらく大事なことは
全てこのプロセスのなかにあるのでしょう。
歩みながら展開されていくのでしょう。
参加してくださった皆様に
代々の方々からの大いなる愛の流れに
心より、心より
感謝申し上げます。
~ご案内~
◇7月12日(土)ファミリーコンステレーション ショートステップワーク
キャンセル待ち
◇コンステレーションの振り返り勉強会を開催していきます。
興味のある方はお問合せください。
〇7月9日(水)、7月26日(土)、8月5日(火)、8月30日(土)
◇次回のcocoriseコンステレーションは
10月11日(土)12日(日)を予定しております。




ポム(犬)の毎日の散歩はなかなか大変ですが、
日々、大事なことを教えてもらっています。
共に歩むということを
体感でレッスンできたのは
ポムのおかげでしょう。
犬のしつけトレーニングのやり方とは異なるのでしょうが、
私にとっては、同じ命と命の関係として、
共に歩むスタンス。
呼吸やリズムを合わせるイメージで、
一緒に歩いていく。
お友達に会って、ルン♪とテンションが上がる感じや
一生懸命、お友達の匂いを頼りに探しに行く様子、
帰りたくなくて、Uターンするあの表情、
しゃべらなくても、雄弁に語るその表情と行動を観察しながら
共に歩きます。
散歩中、ポムの大好きなミミちゃん(仮名)と
飼い主のおばあちゃんにはよくお会いするのですが、
おばあちゃんはミミちゃんを見ることなく、
自分のペースで引っ張って歩く様子が、いつも気になっていました。
何度も立ち止まるミミちゃんを
グイっと引っ張って歩く。
ちょっと歩いては止まるので、又引っ張る。
おばあちゃんは私の母世代。
以前大病し、リハビリが必要で
そのためにミミちゃんを飼ったのだそうです。
だから自分が歩くことが何より大事なことなのです。
それは命に関わることなので、そちらが優先されることも仕方ないのでしょう。
でも先日、ミミちゃんの脇とハーネスが当たる部分に布が巻いてあるので
「どうしたんですか?」と聞くと、
脇のところだけ、毛がなくなっていて
皮膚が赤くなって、湿疹や傷ができているそうなのです。
「私が引っ張るからだろうね」
ミミちゃん、あんなに無理やり引っ張られたら
ずっと痛かったよね。
やっと気づいてもらえてよかったねと、
心の中で安堵したその直後、
おばあちゃんは、相変わらず
引っ張って歩いていきます。
!!!?????!!!
気づいたのに、
自分の歩き方は変わらない。
グイっと引っ張るのも、
ペースも、何もかも変わらない。
変えられない。
やっぱり、ミミちゃんを見ないで
引っ張っている。
やだやだと言って、踏ん張っている状態も
見ていない。
このチャンスにと、伝えてみても
私の言葉は一切、耳に入らない様子。
いつものことですが、全く聞いていなくて
私の言葉は、おばあちゃんのしゃべりに打ち消されていく。
「この子はね、歩かんから仕方ないのよ。
でも運動させんとね、いかんでしょ。
家ではずっと寝てるだけだからね」
「帰りたいみたいだけど、
でも、おしっこさせんとね。
させておけば、私が安心なのよ」
ものすごく切ないけれど
ごめんミミちゃん。
何の力にもなれなくて。
後日、
すっきりと毛をカットしてもらったミミちゃんに会いました。
「脇は、夏の湿疹だったみたい」
ドックサロンの人がそう言ったと
原因が変換されていました。
もちろん、今の気候は一因でしょう。
でも、ドックサロンの人は
散歩の状態など知らず、
症状だけ見て、コメントしているはず。
病院の先生も、
症状だけ見て薬を処方してくれたそうです。
「薬を塗ったからね、そのうち治ると思うよ」
今の痛みは、それで少し楽にはなるでしょう。
その傷付いた部分も、いったん治癒するかもしれません。
でも、環境要因は変わらないから、
根本的解決にはならない。
その部分を傷めてはまた薬を塗る、を繰り返す。
ポムがミミちゃんの脇のところを、
何度も舐めにいきます。
犬には、血が出ていたり、傷ついたりする箇所を
「舐めることで治す」本能があるので、
まだまだそこが傷ついているんだろうなと
思うのです。
その様子を見ておばあちゃんが、
「(ポムが近づいて)嫌なときは怒るのに、
嫌がらんで舐められてるから、気持ちいいのかな」
そして、ミミちゃんを又、引きずるように歩いていきました。
───気づかない。
せっかく気づいたのに、外からの楽になる言葉を取り込んで
切り替えて
自分を変える機会を手放す。
きっとおばあちゃんの心にとって必要な防衛策。
ただ、ミミちゃんの痛みはずっと続く…
これは、おばあちゃんとミミちゃんの話ではなく、
自分に問い続けるテーマだと思っています。
見られていない誰かの痛みが
見ないようにしている誰かの苦しみが
この社会には溢れんばかりにあるでしょう。
だからこそ思うのです。
大事な人の痛みと苦しみを
見ることが出来る人は
自分を変えようと
自分に向き合える人は
この世界の
希望の光だと。
人は変えられない。
でも、ミミちゃんと目が合う。
遠慮のないポムは会う度にミミちゃんの傷を
舐めに行きます。
犬にとっては癒そうとする共感的な行動なのだそうです。
ポムにリードしてもらい、
そのタイミングで傷どうですか?と
一緒にその傷に注目していく(共同注視)
小さな小さな試みを、続けている日々です。
いろんな世間話をしながら。
おばあちゃんの話をたくさん聴きながら。