この仕事をさせて頂き、
ご縁ある人たちのお話を伺い、
共に歩んでいると、
その人の「素」が、チラっ、チラっと
少しずつ見えてきて、
その「素」というのは、
誰もが、本当に魅力的なんだと
出会う度に思うのです。
でも、
それが、全くそう思えない人、
その「素」を自身で全面否定して
隠している人、
別のものになろうと努力している人、
その「素」が全く分からなくなっている人…、
大勢いらっしゃいます。
気づかぬままに、
自分以外の誰かをまとっている人たちも
自分以外の自分を、自分と思い込んでいる人たちも、
なかなか大勢、いらっしゃいます。
もったいないことです。
まあ、私もそんな一人でしたが。
それが、自己否定や自己肥大に向かう一因と
なっていたら、さらにもったいないことです。
さらには、
自分以外の誰かや何かを纏っている場合、
「素」が隠れてしまうわけなので、
お子さんや
パートナーには、
その人の本来の良さが、全く見えなくなってしまうわけです。
というより、存在感が見えない。
いるのに、いない。
あたなは誰?
という感覚。
人間関係の基礎を作る場で、
どこに繋がっていいのかわからない。
誰と繋がればいいのかわからない。
関係性がつくれない。
作り方も、わならない。
ほどよい距離感もわからない。
信用できるかどうかもわからない。
うまくいかなければ、切ればいい、
離れればいい、見ないふりをすればいい、
つながらなければいい、
そんな世の中になりつつあると思います。
夫が「これ読んだ?」と手渡してくれた
「グッド・ライフ」という本の表紙をめくると、
ハーバード大学による
84年にわたる史上最長の研究が解き明かした
健康で幸せな人生を送る鍵
────それは、「よい人間関係」
と、ありました。
サブタイトルが、
「幸せになるのに、遅すぎることはない」
そうです。
最終的には、本当に人間関係だと思います。
SNS上ではなく、リアルな身近な人間関係だと。
そして、
自分とつながっていなければ、
人間関係は難しいのです。
COCORISEは、
ご縁ある人たちとつながり、
共に学び合う場です。
素の自分、
心を
取り戻すよう、
共に歩んでいきます。
☆ご案内☆
COCORISEの心理勉強会、4月5月は、
自己調和、家族システムの調和への第一歩として、
信念体系の理解と、自己・他者肯定へのステップ/体系的感情/自分とつながる瞑想レッスン
(タイトル更新)
コンステレーションの基礎的な学びを含めていきます。
流れに応じて、プチコンステレーションで、プロセスを進めていきます。
自分が自分として、関係性を育んでいきたい方、
ご一緒しませんか。
10ページ目 ブログ
定期的にケアしてもらっている
ボディメイクのMIIちゃんから、
鼻の周りの硬いのは、骨ではないと教えてもらい、
頭が疲れすぎてヘッドスパをお願いした
daisyの美容師shinさんにも、
顔の輪郭と思っていた部分が、骨ではなくコリで、
「このコリ取れたら、顔が小さく立体的になりますよ」
と言われ、
なかなかの衝撃で、骨だと疑っていなかったことが、
興味深いなあと思ったのです。
なぜなら、心も同じなので。
「絶対」と信じ込んでいる正しさや信念が、
生育歴の中で受け取ってきたものであったり、
自分の譲れない価値観と握りしめてきたものが、
実は、親や先祖のものであったり、
もう少し深いレベルでは、
湧きあがる感情すらも、
実は、過去の世代の方のものであったり
するのです。
まさか、自分のものでないなんて、
全く疑いもせずに。
私は、夫との結婚生活の中で、
尊重されていないような腹立たしさというか、
わかってもらえない孤独感というか、
離婚したくなるほど、
感情的につらくなるパターンが過去にあったのですが、
それは実は、母の悲しみだったことがわかったのです。
自分でない誰かが表現できなかったことを
代わりに表現する
これをコンステレーションでは
体系的感情と呼びます。
それも愛なのですが、
それによって、
今の大事な家族の関係性を壊したとしたら、
悲しすぎます。
私は、こうして学び続けてきたおかげで、
無事に気づくことができましたが、
学んでなければ、わかるわけもなく、
目の前の相手に絶望し、壊れてしまった関係性が
世の中には相当多いのではないだろうかと、
思うのです。
愛を逆方向に流してはいけない。
それに、心も他の人のものを背負うと、
本来の自分サイズより、大きくなってしまうのです。
尊大な感じというのでしょうか。
自分以上の大きさや強さで、
相手を圧倒してしまうかもしれません。
私がそうだったように。
自分以外のものは、理解し手放し、
自分サイズに小さくなっていくと、
自分も、周りも、本当に
楽になっていくと、
経験上、感じています。
小さくなると、
愛も本来の方向に流れ始めるでしょう。
上の世代から下の世代へ。
夫婦やカップルの関係も。
ボディも整えていくと、
自分サイズに小さくなるそうで、
by MIIちゃん
心と同じなのです。
心も体も自分サイズになって、
最後には小さな小さなおばあちゃんになって、
ただ、そのままの自分になって、
召されるのが、今の目標になりました。
4月から定期勉強会スタートします。
よろしければご都合のあうときに
お越しください。
不定期参加もOKです。
共に、自分サイズを目指しませんか。
COCORISE定期勉強会
自己と家族システムの調和へ
4月のテーマ
自己否定の信念体系への理解と、自己肯定へのステップ/体系的感情/自分とつながる瞑想レッスン
平日クラス:4月24日(水) ※5月開催日は14日(火)
休日クラス:4月27日(土) ※5月開催日は25日(土)
詳細はこちら
桜が舞っていますね。
一年前、桜を眺めながらポムと散歩していた朝、
父が心筋梗塞で入院すると電話を受けた日のことが
どうしても思い出されます。
かなりまずいらしい、という弟の声。
時が止まった、スーパーの駐車場。
あれから一年。
父が行きたかった旅行に、供養のために
みんなで行こうという案や、
一周忌の件、
母と電話で話しているうちに、
狂気※の層にスポッと入る瞬間を
2回続けて観察しています。
コンステレーションで使われる「狂気」(Out of mind)とは
無意識に思考が別の何かに捉われ、
ふわふわとした無感覚の中に入り込み、
目の前にいる人の痛みを感じず、傷つけるような言葉を
(本人はそんなつもりもないことも)
平然と言えるような状態をいいます。
この狂気の層にいる人と会話しているだけでも、
ネットやメディアで見ているだけでも
あっという間に飲み込まれるので、
誰もが多かれ少なかれ、狂気の層にいる経験が
あるのではないでしょうか。
私の家族では、曾祖父母の時代から、
その層があったことは明確で、
ミサイルのように、強い言葉が飛びかい、
私は、それに応戦していたように思います。
攻撃的な言葉や暴力の層が、
多くの家庭にあったことでしょう。
他にも、正論や正義、信念、こだわり、
ダブルバインドで、子どもや家族の誰かが、
混乱、葛藤、罪悪感に溺れるような、
わかりにくい狂気の層もあるでしょう。
一見、何も問題なく見えるけれど、
家族やそばにいる人の苦しみや大変さ、
痛みを見ることができない。
自分を被害者ポジションに置いたり、
家庭の外を見続けたりすることで、
相手の心と向き合えない無感覚も、
狂気の層です。
個人の問題ではなく、
戦前戦後の混乱期の影響のようです。
母たちも祖父母も曾祖父母も、おそらく、
その層に身を置くことで、
何とか生き延びてきたのではないかと想像します。
致し方ない背景があるのです。
それでも、気づかずに無意識で飲み込まれると
ただただ苦しいばかりです。
みんなが苦しい。
どんどん巻き込むから。
その層が迫ってきても、自分と繋がっていられる人、
その層にいても、理解できていることが、
必要ではないかと感じています。
cocoriseでの4月からの定期勉強会は、
自分自身を明け渡している状態に気づき、
自分自身とつながっていく、
自己と家族システムの調和へのステップを
進めていきたいと思っています。
家族の秩序などの基礎的なことも
学びあっていきたいと考えています。
思考と感情のバランスのとれた、
人間らしい繋がりが、
この社会に増えていきますように。
よろしければ、お気軽にお越しください。
☆4月の定期勉強会
4月24日(水)10時~15時45分(退席自由)
午前の部 ~12時45分
4月27日(土)10時~15時45分(退席自由)
詳細はこちら
個人セラピーでも、コンステレーションのワークショップでも、
同じ課題が繰り返し現れてくることがあります。
つまりは、日本中の非常に多くの家庭で起きていることだと判断します。
ここ2年ほどの間で、繰り返し現れてきていること。
〇感情と思考がかけ離れている。
思考優位になっていて、心がどこかに行ってしまっている。
〇相手の行動は見ていても、社会的観点から見ていても、
心を見ていない。見ることができない。
⇓よって、
〇それが、お母さんの場合、
家庭の中にお母さんがいるのに、いない。
お子さんの目に、お母さんが見えているようで見えない。
〇カップルや夫婦の場合、
一番大事な感情が見失われ、思考で相手をジャッジして、
喧嘩が絶えない、もしくは互いの心が離れてしまう。
〇狂気の渦に飲み込まれてしまい、
イライラや怒りが止められない。
※多く現れている状況ですが、こればかりではありません
思考と感情がかけ離れてしまっているのは、
全人類共通の課題とも言われています。
COCORISE内では、心が不在の背景も、
共通点が見えてきています。
そこには必ず、その人の「愛」が存在しています。
実はとても愛情深いのです。
器も大きいのです。
ただ、流れるべき愛の方向性ではないほうに、
力を尽くして注いでしまっているのです。
全くもって無意識に、
心が別の場所に引き寄せられてしまっているのです。
それゆえに、お子さんたちは、お母さんを
求めているのに、心で応えてもらえない。
求めたこととは、違う反応がくるから、
だんだん、お母さんが見えなくなってくる。
心不在で、人形のような機械のような人に、
触れられても、声をかけられても、
血が通っている感じがしない。。。
すると、お子さんの内側に広がるのは、
諦めと悲しさ、
お母さんに対し、閉ざされた「無」の感覚。
決してお母さんを恨んでもいないし、
嫌いでもないけれど、
ただ、「無」になっていく。
お母さんの心が見えないと、
自分の心までも見失うものかもしれません。
そして、そのまま成長し・・・
自分が「無」だと、社会の情報や思考に振り回されやすくなり・・・
自分のものではない思考や感情に飲み込まれていき・・・・
大人になり、それが代々、繰り返されているのかもしれません。
COCORISEでは、その課題に対して、
どのようなサポートがベストなのか、模索し続けてきたのですが、
先日の個人セラピー2セッションで、一筋の強い光が見えました。
2セッションなので、私を含め3名が揃うため、
プチコンステレーションをおこなうことができ、
心を取り戻していく一連のプロセスが、
初めて展開されたのです。
2月に行われたコンステレーションの続きのようなストーリーでした。
あるがままの現実を見ることは、簡単に見えて難しい作業です。
そんな中、真正面から目をそらさず真っ直ぐに受け止め、
さらに、2セッションでプロセスを進めていく
彼女の勇気と真っすぐな想いと、続けてお越し下さる力が、
新たな展開を引き起こし、自ら心を取り戻していくのだと、
感動で、震えました。
心が戻っていくときの、無機質な感じから
温かみと重みある存在に変化していくリアルさ。
忘れられません。
おそらく、彼女と娘さんの関係性も、
ここから変容していくでしょう。
そして、お越し下さる方々の内なる鍵が、
開き始めるような気もしています。
もちろん、それぞれのプロセスが必要ですが、
加速化するかもしれません。
集合無意識は繋がっています。
彼女だけではなく、COCORISEにお越し続けてくださる人たちは、
本当にピュアな勇者であり、多くの人たちの鍵を開ける光だと、
度々思い出しては胸が熱くなるほど、
頭が下がる想いです。
大勢でのコンステレーションに抵抗のある方、
ご自身のテーマのプロセスをさらに進めていきたい方は、
2セッションをご利用ください。
ご希望をお知らせ頂ければ、セッティングしていきます。
※個人セラピー2セッションの詳細はこちら
「今日は腹が立ってる」
と、母からの電話。
弟家族と同居している80歳の母は、
フルで働いているお嫁さんの代わりに、
家族の食事を作っているのですが、
(春休みは、夕ご飯だけではなく
お昼ご飯も作らないといけないから、
それが本当に大変だと、よく愚痴をこぼしていて)
ある日、
ラーメンに唐揚げをトッピングしたことに対して、
今度高校生になる孫が文句を言ってきたらしいのです。
母が言うには、それも、その時に言うのではなく、数日後に、
父親(私の弟で、母にとっては息子)がいるところで言い、
さらには、弟は母の肩を持つのではなく、
「唐揚げをラーメンに入れるなんて信じられん」
と、2人で母を批判したことが、ショックだったらしく、
「こんなに頑張っているのに、
感謝どころか、あんなこと言われて、
ほんと、なんていうか、情けないよ」
と嘆き、怒っているのです。
そのやりきれなさは、毎日の食事作りで
へとへとになっているからこそで、
痛いほどわかります。
言った側からすると些細なことかもしれないけれど、
疲れ切っていながら、頑張っている母には、
爆弾級に響くものです。
このワンシーンだけを切り取ると、
本当に80歳もなって、母が気の毒だし、
なんとかならないものかと、毎回思います。
ただ、
もっと俯瞰から見ると、
「こんなにやってあげているのに、
通じない、感謝もない」
「気持ちをわかってもらえない」
と嘆くその背景も、見えてくるのです。
母の見ている世界と、良かれと思っての行為も、
孫たちが生きている、望む世界が、
全く繋がっていないのです。
母も又、孫たちが心を閉ざすような
言葉を発することがあり、
「アドバイスしてあげないと、間違うでしょ」
と、その思い込みを疑わず、
良かれと思っている言葉かけなのでしょうが、
疲れから仕方なく出てしまう態度でしょうが、
その積み重ねによって、
心の距離ができてしまっている気もします。
そして、まるで生きている層が違うかのように、
交わらなくなりつつある感じがしています。
どちらも精一杯日々を頑張り続けているがゆえに、
どちらも致し方なく、壁を作るしかないようで、
この状況が、ただただ、切ない。
こんなに時を重ねてきて、力を注いできているのに、
もったいなく、切ない事態になってしまっていると、
思うのです。
母は、私に共感を求めているし、
もちろん、共感しながら話を聴くのですが、
気を付けないと、
母の信念体系を強固にしてしまい、
母のいる層と、弟家族のいる層をさらに、遠く離してしまい、
結果的に母が孤独になる可能性があるので、
層をつなぐ経路を探しつつ、聴いています。
そこに、自ら気づくことができたなら、
自分の層から出ることができたなら、
再び、交わっていけるのではないかと、願いながら。
