不安や猜疑心・・・
いろいろなものが浮かび上がってくることもありますが、
それらは、リアルではありません。
記憶であったり、思考が作り出すイメージであったりします。
そんなときは、呼吸に集中してみましょう。
いつも、講座前やカウンセリング前でおこなっているように。
その苦しいイメージを
思い出しては忘れ、
すくい上げては手放していく。
光に守られ、大地につながっていると
イメージしながら。
好きな音楽や心地よいBGMを聴きながらすると、
より良いかと思います。
呼吸に集中すると、今ここに、戻ってくることができます。
作り出されてしまうマイナスのイメージの洞穴に
入り込んでいることに気づき、
その穴を掘り進めていくことをやめて、
今ここの、光の中に出てみましょう。
どうしても、
そのイメージに苦しむとき、
一人では難しい時は
講座やカウンセリング、セラピー、グループワークにお越しくださいね。
12ページ目 ブログ
一年前のワーク中、
差し出された母親からの手に、
「いまさら・・・」
「絶対無理です」
と、頑なに背を向けていたKさん(仮名)。
あの時は、全く動きそうになかった心。
子どもの頃、
手をつないでほしかったのに、
振りほどかれた手。
親からすると、
傷つけるつもりなどなかったとしても
子どもの心には深い痛みとなって
残り続けます。
こういったことは、
どの親子でも、度々起こります。
子どもの愛情表現が妨げられたとき、
Kさんの場合、手を振りほどかれたときに
ビクッとして釘付けとなり、
筋肉に宿ってしまった記憶から、
誤った身構えを習慣化することによって、
エネルギーの流れは
遮られてしまうようです。
そこを解いていくには、
もう一度、その時点からの
歩みが重要ですが、
決して受け身ではなく
カタチだけでもなく
心を一致させてそこに辿り着くには、
その人にとっての必要なプロセスがあると
感じています。
あれから一年のプロセスを経て、
その一歩の歩みが
ふいに訪れたのは、
個人セラピーや
講座、コンステレーションを経て、
振り返り勉強会を経て、
講座時のプチワーク中のこと。
テーマにしていたわけでもなく、
意図したわけでもないのに、
必要なことは
ベストなタイミングで起きてくるのでしょう。
母親から差し出された手に、ついに自ら歩み寄り
泣いて泣いて、溶けていく・・
「予想もしていなかった展開で・・・」
と、Kさん自身、驚いている様子。
これまでの積み重ねが水面下で後押しするように、
踏み出すことのできた一歩は、
たったの一歩ですが、
本当に大きなかけがえのない一歩。
変容は誰にでも可能ですが、
歩み続けられる人はごくわずかだからこそ、
「奇跡」のように見えるのかもしれません。
実家で迎えた2024年元旦の朝、
起きると、母の第一声は、
「蚊が飛んでて、眠れなくてやになっちゃった。
この時期に蚊がいるほど暖かいなんて
地震がいらんかしゃん(訳:起きないかしら)と
心配になるよね」
その夕方に、能登半島地震。
夫と娘と愛知のショッピングモールの3階にいた私は、
震度4の揺れを体験していました。
娘が母に、
「なんで暖かいと地震がくるん?」
と聞くと、
「わからんけど、昔からそう言われているからね」
きっと、その昔とは、
1945年三河地震の頃でしょう。
三河湾を震源とする震度7相当の直下型地震で、
37日前に発生した東南海地震とともに2306人が亡くなられており、
祖母の娘であり、父の姉である、清子さんも
箪笥の下敷きになって亡くなったと、
祖母から何度も聞いています。
それが1月だったのです。
被災された皆様の過酷な状況を思うと
言葉もありませんし、
今自分にできることをするしかありません。
そして、三河地震のように、
繰り返されないことを
祈るばかりです。
飛行機事故に北九州市鳥町の火災。
2024年の悲しい幕開けに、
被災地の皆様はもちろん、
他の地域の方々も、
心が揺れている人が多いように思います。
皆さん、大丈夫でしょうか。
三河地震は、戦時下だったため秘密にされ、
支援も受けられなかったようですが、
それでも祖父母や父たちは
裏の空き地で茣蓙を敷いて
なんとか生き抜いたのだと
父が生前教えてくれました。
そして、その空き地が、その後田んぼとなり、
春には蓮華が植えられ、
幼い私はそこで、遊んでいました。
小さな草花にも、私たちにも、
不屈の精神が流れている気がしています。
その精神性を握りしめて、
2024年を進んでまいります。
本年も何卒よろしくお願い致します。
「年とったら枯れていくっていうのは思い込みで
本当は、みずみずしくなっていくらしいよ」
と、出張帰りの夫が、道中読んできた本に書いてあったことを
教えてくれました。教養についての本らしいです。
その根拠については、まだ読んでいないのでわかりませんが
(時間でき次第読みます!)
本来はそうなんだろうなあと、なんとなく感覚的に
思ったのです。
コンステレーションの場にいさせてもらうと、
見たくないものも、見えてきます。
人は、こんなにも、見たくないものについては
上手に回避して、無意識に目をそらせることができるのだと
身を持って体感します。
それは、防御の力です。
自分の心を守るためです。
ただ、自分の心に強さが生まれ、
器ができたときに、見ることができるようになるのでしょう。
逆もあると思います。
都合の悪いことも、避けたいことも、
ありのままを見ることで、認めることで、
強さというか、重みが生まれ、
どっしりと自分の足で立ち、責任を持って
自分の意志で歩んでいくでしょう。
同時に、自分のものでない感覚を、どれほど背負ってきたか、
その背負ったものを分離でき、荷をおろすことができるようになると、
小さくなっていける自分を体感します。
どれだけ、全身に不要な力を入れて、社会や親や親族と闘ってきたのか。
どれだけ、出過ぎた真似をしてきたのか。
どれだけ、絶望を繰り返してきたのか。
そういうものが、自分の身体から、鱗がはがれるように
落とせていくと、
小さな小さな自分サイズの自分が現れて、
それは、みずみずしい魂のように、感じるのです。
ただただ、自分で
ただただ、シンプルで
ただただ、お父さんとお母さんの子どもで
ただただ、夫のパートナーで、娘と息子の母で・・・
進むたびに、みずみずしくなっていけたらいいなと、
肌は仕方ないとしても
魂は、そうであるといいなと思うのです。
何より、課題を下の世代に先送りしない、
自分のことは自分でひきうけるために、
見られていないことを見ていく必要性を感じるのです。
コンステレーションの振り返りの日々から
大きなギフトを頂いています。
振り返り勉強会は、23日(土)も開催しますので、
興味のある方はご参加ください。
北九州ライターズネットワークでも
一般の人向けに記事を書きました。
こちらもよろしければ、ご訪問ください。
北九州ライターズネットワーク
戦時中戦後を生きた
私たちの祖父母や親世代は、
戦争の影響をそのまま受け、
戦前戦後で価値観や守るべきものが一変し、
アメリカによって持ち込まれた制度の中で、
これまでの信じてきたものの
正反対の価値観を受け容れるために、
自分の考えや感情を断ち切った人も
混乱に陥った人も
いたでしょう。
命が尊重されない社会の風潮の中で
気づかぬうちに奥底で
心が壊れていった人もいたでしょう。
ファミリーコンステレーションで
そんな母世代や祖母世代の代理人として立つと、
少し正気でないような感覚を体感します。
くるくる回ったり、ゆらゆら揺れたりして、
何の感情もない、
向こうで、子どもが泣いていても、
夫が苦しんでいても、
何も響かない、うつろな状態。
そんな状態を、コンステレーションでは
「狂気」と、呼びます。
この感覚の中にはまっていると、
痛みを感じなくなります。
自分の痛みも、家族の痛みも。
子どもの心を見れない人も、
過剰に怒り続けてしまう人も
この狂気の中にはまっている可能性は
高いでしょう。
祖母や母世代だけではなく、また
特別な人だけがそうなるのではなく、
多くの日本人が、
日常の中で、時折、もしくはずっと、
その狂気の中に入ってしまうように感じています。
以前、
母が狂気の状態で、父を怒り続けているときに、
私もそれに巻き込まれ、飲み込まれていった自分を
ありありと観察したことがあります。
自分が自分でないようで、
思考が止まり、体が重く、頭の後ろのほうも重く、
空のような状態。
自分でコントロールきかず、頭で考えてないのに、
母にひどいことを言っている状態。
11日22日と開催したコンステレーションでも、
狂気の渦が多く起きていました。
これを体感することは、とても重要でした。
自分が狂気の中にいることを認識しないかぎり、
抜け出すことはできないからです。
社会の中には怒りが溢れていて、
心の奥の層には境界線がないので、
あっというまに、
誰もが飲み込まれるのです。
だから、はまるたびに、自覚すること、
そして上手に抜け出す感覚を身に着ける必要があります。
もし、狂気にはまっていることを
認識できた人は、
そこから、抜けていきましょう。
目を覚めていきましょう。
気づくだけで、抜けれる場合もありますし、
自分の目の前で、大きく手を叩いて
自分で自分を目覚めさせてみるのもいいでしょう。
花や樹々を見つめてみてください。
自然の中に身をおいて、
自然と自分を感じきってみてください。
子どもや犬や猫を膝にのせて、
抱きしめて、
ただただ命の重みを感じてみてください。
安心できる人の目を見て、
しっかりと見つめ合ってみてください。
今ここに、戻ってきてください。
そう簡単にいかない場合もあります。
そういうときは、ゆっくりでいいので、
ただ、今自分はそんな中にはまっているのだと、
認識だけしておきましょう。
そして、一緒に取り組んでいきましょう。
自分を取り戻して、
自分とつながっていくために。
