実家で迎えた2024年元旦の朝、
起きると、母の第一声は、
「蚊が飛んでて、眠れなくてやになっちゃった。
この時期に蚊がいるほど暖かいなんて
地震がいらんかしゃん(訳:起きないかしら)と
心配になるよね」
その夕方に、能登半島地震。
夫と娘と愛知のショッピングモールの3階にいた私は、
震度4の揺れを体験していました。
娘が母に、
「なんで暖かいと地震がくるん?」
と聞くと、
「わからんけど、昔からそう言われているからね」
きっと、その昔とは、
1945年三河地震の頃でしょう。
三河湾を震源とする震度7相当の直下型地震で、
37日前に発生した東南海地震とともに2306人が亡くなられており、
祖母の娘であり、父の姉である、清子さんも
箪笥の下敷きになって亡くなったと、
祖母から何度も聞いています。
それが1月だったのです。
被災された皆様の過酷な状況を思うと
言葉もありませんし、
今自分にできることをするしかありません。
そして、三河地震のように、
繰り返されないことを
祈るばかりです。
飛行機事故に北九州市鳥町の火災。
2024年の悲しい幕開けに、
被災地の皆様はもちろん、
他の地域の方々も、
心が揺れている人が多いように思います。
皆さん、大丈夫でしょうか。
三河地震は、戦時下だったため秘密にされ、
支援も受けられなかったようですが、
それでも祖父母や父たちは
裏の空き地で茣蓙を敷いて
なんとか生き抜いたのだと
父が生前教えてくれました。
そして、その空き地が、その後田んぼとなり、
春には蓮華が植えられ、
幼い私はそこで、遊んでいました。
小さな草花にも、私たちにも、
不屈の精神が流れている気がしています。
その精神性を握りしめて、
2024年を進んでまいります。
本年も何卒よろしくお願い致します。